居合は動く禅
居合は動く禅であると言われることがあります。
かつて武術と呼ばれたものが、戦国時代の末期から江戸時代初期にかけて武道と呼ばれるようになっていった背景に、禅との深い関わりがあります。江戸時代初期の武将で将軍家兵法指南役であった柳生宗矩は、その書『殺人刀』、『活人剣』の中で、「一番いけないのは一つのことに執着することだ。道(どう)とは何かというと常(つね)の道(みち)のことだ」と説いています。「常の道」とは禅で言う「平常心」のことで「平常の心とはどこにも執着しない心のこと」であり、相手を斬ってやろう、勝ってやろうという何かに偏った心を捨てることを説いています。居合も禅の目指す境地と同じところを目指しています。
また、居合の日頃の稽古と坐禅の修行の共通点として、脱力し体幹を整えた姿勢で複式呼吸をする点などがあげられます。その姿勢・呼吸には、脳内神経伝達物質のひとつ「セロトニン」の分泌を促す効果があります。 セロトニンは別名「幸せホルモン」とも呼ばれていて、精神の安定や感情のコントロールに大きく関わっています。 セロトニンの分泌量が増えると、ストレスが軽減されリラックスできます。
判断力や行動力が磨かれる
居合では、先達が知恵を絞って考案した、突如直面する生死の境となる状況において武士が生き残る為の究極の技を居合刀を用いて繰り返し稽古します。想定する相手の動きに対して、最も合理的な動きをする為に考え抜かれた技への理解を深めながら、心と剣、体さばきの一致を求めて無心に稽古することで、無意識のうちに当時の武士の合理的な考え方と動作が身に付いて行きます。咄嗟の合理的な判断力や行動力が自然に磨かれることが実社会の生活においても実感できるようになる為、自分の直観にも自信が持てるようになります。
自然に礼儀正しさが身につく
居合の修行者には礼儀正しい方が多いと感じます。
居合で学ぶ武士の礼法の動作には、対面する相手に敬意を表すのみならず、相手が自らの領域に踏み入れば斬るという覚悟と、その代わりこちらも相手の領域には踏み込まないという意思表示が含まれています。相手も傷つけず、こちらも傷つけさせない護身の心が武士の礼法にはあるのです。相手に失礼とならない振る舞いが自然に出来るようになる為、自然に礼儀正しさが身につきます。
現代社会を生きる我々にこそ多くの学びのある武道が居合なのです。